Tourism passport web magazine

学校法人明浄大学 大阪観光大学

〒590-0493
大阪府泉南郡熊取町
大久保南5-3-1

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大阪観光大の学生や教員が運営する WEBマガジン「passport」

Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”

「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、 大阪観光大学がお届けするWEBマガジンです。
記事を書いているのは大阪観光大学の現役の教授や学生たち。 大学の情報はもちろん、観光業界や外国語に興味のある方にも楽しんでいただける記事を定期的に公開していきます。

マンダレーを知っていますか? ~ ビルマ(ミャンマー)再訪録 ~

マンダレーと言っても、その実情はおろか、名を知っている人さえ少ない
かもしれない。マンダレーは東南アジアのビルマ(ミャンマー)では第2の都
市だ。本学にも当地出身の優秀な留学生が在籍している。今夏、当地を再訪
した。
 ここは元は、後にビルマとなる18世紀半ばのコンバウン朝の都だったとこ
ろだ。その王宮は今でも残っている。今日の主な観光の目玉はそこなのだが、
今回は少し違う側面からマンダレーを見てみた。

イギリスは戦争に勝ち、1886年にここをイギリス領インドの一部とした。
それ以降1948年の独立まで、ビルマはイギリスの統治下に入った。
 この街はとても興味深い街である。南方上座仏教徒のビルマ人(ビルマ族)
が主体となり、社会を形成しているのはもちろん、そのほかに華僑系の住民
もいる。イスラム教徒にも西や東に出自を持つ者がいて多様であり、彼らの
モスクは地域社会と結びついている。地勢から、インド東端に出自があるヒ
ンドゥー系住民が住む地区もある。街のなかにはサレジオ会が中心になって
建てたカトリック教会が3か所にあり、民主化の進展とともに本格的な宗教
活動が再開されている。まさに宗教と民族とがモザイク状に入り組んだ街で
ある。
 王宮 対 下町という対比も面白い。下町の地区では、多数の商店や露店が
人々の生活とともにある。朝から街路を歩く物売りの声がするし、イスラ
ム教徒の街区の近くでは、モスク(イスラム寺院)からのアザーン(礼拝への
呼びかけの歌)も耳にすることができる。町のたたずまいや人々の生活感が
街の雰囲気を醸し出している。ここはやはり、東南アジアの趣が感じられる
街である。
 イギリスの影響で、王宮近くの街の中心部は、京都市街のように碁盤の
目の街区だ。一見、分かりやすいが、町が広く、移動には何らかの交通手
段が不可欠である。ベトナムのハノイほどではないが、庶民の足にはオー
トバイが多用される。小中学生の送り迎えにも欠かせない。
 一方で近年、自動車が増えた。マンダレーのような大都市に限らず、ミャ
ンマーで増加したのは日本の中古車である。2011年にこの国では自動車の
輸入が自由化された。ハイブリッド車や電気自動車が少ないのは残念だが、
街を走る自動車についていえば、「少し古めの日本車しか見かけない」と
言っても過言ではない。無論、新車のディーラーもあるのだが。

商用車や観光バスなどのボディーには日本時代の塗装がそのまま残され
ているものだから、日本人としては郷愁を誘われる。今回同行した在日ビ
ルマ(ミャンマー)人は、マンダレーで「JRハイウェイバス」を見つけて、
嬉々としていた。故郷の地元の商店で使われていたトラックや観光バスが、
この街を走っているかもしれない。それを探し出してみるのも一興だろう。
 ハイブリッド車や電気自動車が少ない一因は、電源供給にもある。雨期
と乾期の水力発電量に差があり、さらに火力発電とのバランスも悪く不安
定で、短時間の停電が時期によって頻繁にある。非常用のガソリン発電機
を持っている施設や個人も少なくない。停電は工業生産上のロスにもつな
がる。頻発したり、長時間に及ぶと、その影響は大である。
 となれば、街なかのそこここにガソリンスタンドが点在する風景も何ら
不思議ではない。マンダレー市内で見かけたのは、大型貯蔵タンクにメー
ターをつけた給油所や、立てたドラム缶に給油ポンプと透明のホースをつ
けただけの、簡易ガソリンスタンドであった。ホースが透明なのは、色で
中身を見極めるためだ。
 最近、日本でもセルフサービス型のガソリンスタンドが増えたが、例え
ばレギュラーガソリンには識別のために「色がつけられている」ことを、
読者はご存知だろうか。日本ではそれは俗に「赤ガス」と呼ばれ、赤味を
帯びた色に着色されている。聞くところによれば、当地ではガソリンに混
ぜ物をしてあるものが流通しているそうだ。そのため、粗悪なガソリンを
売らない、「あの店は丁寧でまっとうな商売をする」というスタンドが口
伝えで人気なのだそうである。
 街なかでは経済の仕組みは近代化されていて、もちろんクレジットカー
ドは使えるし、銀行によるKBZ Payなども使える。至って便利である。だ
が、ビルマ(ミャンマー)の国内総生産(GDP)の額は、約693億ドル(2017年)
であり、隣国のタイと比べると7分の1ほどしかない。したがって、ミャ
ンマーは経済的には同じASEANの国々の中でも低い位置づけにある。
 マンダレーに着いてから日本へメールを送ったが、そこには現地の印象
を「20年ほど前のタイに似ている」と記した。それは正直な感想で、まん
ざら嘘でもない。インフラストラクチャーの成長は即ち、経済成長の証で
ある。他の東南アジアの国々ではその整備が国家建設のためのひとつの基
礎的なプロセスとしてあっただけに、いわゆる経済インフラや社会インフ
ラを整えることが、今のミャンマーの喫緊の課題だと痛感する。

さて、昨年春、その前を通りかかってはいたものの、訪れる機会が今夏
までなかった場所がある。そこは「雲南会館」である。隣国、中国・雲南
省最西部の出身者とその子孫は、当地では一大勢力である。「華僑」とし
ては、広東系や福建系が名高いが、当地では雲南系が過半で、他の東南ア
ジアの国でもここほどの人口規模は持たない。70年代後半にここを訪れた
山下清海先生(地理学/華僑研究)以降、邦人研究者は、この会館に関する調
査記録をいくつか残している。近年では欧米の研究者のモノグラフもある。
 マンダレーに雲南系の出身者がコミュニティを形成するのは18世紀の半
ばだが、その後のビルマ(ミャンマー)の混乱期もあって、元より中国の雲
南省に出自を持つ人々がこの国で市民権を得るようになるまでには、紆余
曲折があり、多くの苦労があった。一方でビルマ人の名を名乗りつつ、そ
れを国民登録カードに記載しながら、片方で漢民族としてのアイデンティ
ティを保持してきた。国籍取得の過程にはビルマ(ミャンマー)政府との軋
轢もあったという。
 しかも、マンダレーから北や東は山岳地帯で、タイ系の少数民族シャン
族による間接統治が認められていた領域であった。そうした場所において、
彼らは歴史的に関係性を切り拓きつつ、自らの社会的地位を高めて行った。
そんな彼らは今やビルマ(ミャンマー)に貢献しながら、今日、経済的に優
位な中国とも商行為を重ねる。北部のミッチナーに設けられた中国の経済
特区には、この雲南会館の寄与が大きい。
 私が訪れていた間にも、寄付目的でここを訪れる人は引き切らずで、理
事らとのインタビューを度々中断せねばならないほどだった。寄付の額た
るやこれまた高額だった。3,000万チャット(=約210万円)や5,000万チャッ
ト(=約350万円)の高額寄付者が陸続と名を連ねる。それもミャンマーに
根付く「寄付文化」の産物だろうか。
 ミャンマー国籍ならば、ASEANの諸国家へはビザなし渡航が可能だ。雲
南系の漢人は隣国タイに少数民族として居住する同胞との関係も密である。
 その昔、「蜀身毒道」と呼ばれた道があった。それは、蜀のくにがあっ
た四川省から、雲南省西部を経てミャンマー北部のカチン州を通り、身毒
国(インド)へと抜けるルートのことで、西域のシルクロードよりも早くか
ら存在したと言われている。80年代末頃から、それは「西南シルクロード」
や「南方シルクロード(南方丝绸之路)」との名で呼ばれるようになった。

今の中国は拡大路線を展開し、国家的な経済構想の「一帯一路」(日本
語翻訳は「シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード」)を推し
進めている。だが、あえてそうした呼称を使わずとも、国境を越えた人々
の関係性は、歴史や地域を超えて連綿と築かれてきた。現地に赴きつつ、
社会の中のそうした関係性を紐解いてゆくことが、私たち社会や文化を
分析する者の使命である。

(たにぐち やすひさ[文化人類学者]:本学国際交流学部 教授)

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