Tourism passport web magazine

学校法人明浄大学 大阪観光大学

〒590-0493
大阪府泉南郡熊取町
大久保南5-3-1

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大阪観光大の学生や教員が運営する WEBマガジン「passport」

Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”

「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、 大阪観光大学がお届けするWEBマガジンです。
記事を書いているのは大阪観光大学の現役の教授や学生たち。 大学の情報はもちろん、観光業界や外国語に興味のある方にも楽しんでいただける記事を定期的に公開していきます。

谷底の村にて - 3月のフィールドノートから

今、文化人類学者としてベトナム北部の山岳少数民族、モン(H’mong)の村にフィールドワークに赴いている。この村は中国国境にもほど近い。夜の漆黒のなか土間では、たき火の燃え残りがまだくすぶっている。囲炉裏の横にある竹製のベッドで、借りた薄い毛布にくるまりながら、これを書いている。まだ底冷えがして、夜中にときおり目が覚める。

彼らは日の出とともに起きて田や畑に野良仕事に行き、明るいうちは一日働いて、日の入りまでに家に帰ってくる。日常はそんなサイクルである。村に電灯線は来ていて、この家でもスイッチひとつで電灯に明かりは点くが、村の人には電気を使う習慣があまりない。平屋の木造家屋にある1, 2本の蛍光灯が灯るのは、せいぜい夕食をとる時だけである。小型冷蔵庫のコードは24時間コンセントにつながれてはいない。儀礼の供犠に使われたニワトリやブタの肉がふんだんにあると、それらを冷やす時間帯だけ、冷蔵庫は「ものを冷やす道具」として用いられる。20年ほど前のタイのモンの村では、通電されていない冷蔵庫の棚に新品の革靴がずらりと並べられているのを見たことがある。

ではテレビはどうかといえば、モンの人々には見る機会が少なく、ブラウン管の小さなテレビはたいてい調度品と化している。流れてくるのは国家語のベトナム語の番組ばかりで、しかも映りが悪いからだ。電熱器もあるものの、せいぜい鍋物料理の時にしか出番はない。Wi-Fiや固定電話はない一方、ケータイやスマホは普及しつつある。主に男性や若年層が使うが、私がいるこの谷底の村では電波が不良である。そんなこともあってか、「お伴」と称する村の人民委員会のベトナム人の役人は、私を放し飼い状態にしてくれている。

歴史的にモンは国家の周縁部の人たちである。ベトナム・中国・タイ・ラオスといった大陸部の端の山地に農耕民として生きてきた。上述した生活は今や、そうした場でのみ体験できる。逆に日本をはじめとする近代文明の社会は、ほぼ間違いなく大規模なエネルギー消費と結びついている。その世界では最近、ネット依存症が病気と認識されるようになり、スマホ中毒から遠ざかるための集団キャンプもある。しかし、ここでは縁遠い話だ。

日本では今秋の関西での台風や北海道での地震のあと、手回し型の携帯ラジオが人気で、なかなか手に入らないそうである。電気や情報から断絶した時の極度の不便な生活の経験やその対策が、その売れ行きを支えている。もとよりインフラ設備から遠い、電気を使わない生活がその購買動機ではない。

村でよく「日本の便利な暮らしはどうか?」と尋ねられる。たまたま空気清浄機の話になった時、「なぜ、そんな用もない値段の高い機械を部屋のなかに置くのか?」と聞かれ、返答に窮した。自然に近い生活をしているモンの人々は、部屋の土間でたき火をするくらいだから、ハウスダストや花粉を気にもせずに過ごしている。アレルギー物質や体質のことを説明したとしても、理解してもらえないだろう。別のおりに彼らに「電気掃除機には10万円を超える価格の高級製品がある。」と告げたら、「その金額ならハノイから飛行機で日本に飛べる!」とすぐさま突っ込まれて、皆の失笑を買った。

日本の友人からは「言葉や食事も違うし、だいいちそんな、モノのない家に長く住み込んでいて、寂しくないか?」と尋ねられるが、私自身ホームシックに陥った経験はほとんどない。帰りたくなったのは、ただの1度だけ。タイの村で夏場に風邪をひき、41度を超える熱を出した時である。自分が今、風邪の熱でうなされているのか、はたまた寝かされているトタン屋根の平屋の輻射熱でうなされているのか、それがわからなくなったときくらいだ。

当地にはあくまで「シゴトで」来ている。「アレが食べたい。コレをしたい。」と考えても、とにかくないものはない。現状に甘んじるしかないのである。現状がいわば「ないないづくし」なのであるから、遠い日本のことまでは到底思い浮かばず仕舞いである。届いているはずのSNSやメール、スマホにかかってきているはずの電話もつまるところは埒外である。万が一考え始めると、今度はそれが気になって、きっと寝つけなくなるはずだ。

家の人たちは夕方に二食目の食事を済ませると、そこでほぼ一日が終わる。近隣の親戚連中や村の衆が酒を酌み交わさない夜は、夜8時には蛍光灯とたき火を消して、早々と就寝する。その時分から、次の日に朝げの支度が始まる5時前頃までは睡眠時間である。当日のフィールドノートをまとめたいのはやまやまだが、懐中電灯の電池の持ちを考えるとそうも行かず、私はすぐに体を横にする。足元が凍えるのは谷底の村にいるから仕方がないと言い聞かせることにしている。そんな苦痛も味わうが、夜、懐中電灯を持って家の外のトイレに向かう際、ふと上を見上げると、冬の空に大きな銀河が横たわっているのが目に入ってくる。こうした豪華な天体ショーも味わえる。

眠りに落ちるまでの時間は、考えごとができる時間でもある。3月はまだ寒さが残るのが難点だが、ときおり耳に入ってくる犬の遠吠えやニワトリの鳴き声を聞きながら、この村の人々とのことどもやこれまでに読んだ本の内容、哲学者や偉人の思惟や思弁などなど、あれやこれやを思い起こす。その時間が楽しい。いいひらめきはメモにして残しておきたいのだけれども、真っ暗な寝床では何もできずにただ体を丸めているだけだ。その思いつきだけが頭の中を駆け抜けてゆく。

そうした村でのフィールドワーク態勢から日本的な「仕事モード」への気持ちの切り替えは、荷物を持ってバスに乗り、村を離れたらすぐに行える。何せこれから丸一日かけて国際空港のある大きな都市へ出、飛行機に乗る必要があるのだから。

どこへ調査に行くにしても、こうしたアンバランスさに驚嘆してからもう20年以上になる。この村でも10年ほど前まではスマホの利用者はいなかった。村の文化や社会は少しずつ変化する過程にあるのだが、私を覚えてくれている人々とのゆるやかな関係をはじめ、変化の少ない何かにたどり着くとほっとするのが、フィールドワーク先での実感である。

私が嫌悪するのは、気候や食の違いといった環境の差ではない。日本に帰ってから、この村にいたときのようなゆったりとしたリズムやテンポではなかなか生活が行えない点である。私にとって安らかな思索の場は、フィールドワーク先での生活にこそあるといってもよい。

思い起こせば、私の最初の海外旅行先は中国の内蒙古自治区だった。その大草原にモンゴル族のゲル(パオ)を訪問した。大学2年生の時だったが、そこでの生活も余計なモノを持たないシンプルライフだった。そうした日常生活の単純さに触れるにつけ、逆に複雑化した文明やグローバリゼーションのあり方を考えさせられる。

本学・国際交流学部 教授(文化人類学)

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