Tourism passport web magazine

学校法人明浄大学 大阪観光大学

〒590-0493
大阪府泉南郡熊取町
大久保南5-3-1

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大阪観光大の学生や教員が運営する WEBマガジン「passport」

Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”

「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、 大阪観光大学がお届けするWEBマガジンです。
記事を書いているのは大阪観光大学の現役の教授や学生たち。 大学の情報はもちろん、観光業界や外国語に興味のある方にも楽しんでいただける記事を定期的に公開していきます。

キュー・ガーデンのウォーク・ウェイ

昨年9月ロンドンに行く機会があり、帰国の飛行機が夕方発なので、午前中に郊外のキュー・ガーデンに出かけた。
 世界遺産に登録されているキュー・ガーデンは、18世紀に中ごろに始まった世界で最も有名な植物園で、是非一度いってみたいと思っていた。

世界への大英帝国の発展とともに各地の植物資源の収集が行われ、その拠点として植物園が設立され、とくにキュー・ガーデンはその中心として整備されてきた。
 ダーウィンの友人で、ヒマラヤなどで植物採集を行い、日本でもその著書『ヒマラヤ紀行』の翻訳(薬師義美 訳)があるジョゼフ・フーカー(1817-1911年)の父親、ウィリアム・フーカー(1785-1865年)が園長となって整備し、息子のジョゼフも園長となったという。

こうした帝国型の植物園は現在の日本にほとんどないと考えられている。しかし台北の植物園をみてから、日本もかつて類似のものをもっていたことを知った。
 日清戦争後に台湾を統治するようになった台湾総督府は、植民地経営のために植物資源を集める施設を作り、それを植物園として整備して戦後となり、現在は市民の憩いの場となっている。小さいながらも、熱帯・亜熱帯をカバーするその初期の目的が感じられる。他方、いままで行った海外でチャンスがあったのに、類似の植物園を見学し損ねたことにも気づく。

温室の中で植物を写生する子ども

時間が限られていたので、温室や世界各地の樹木でできた林を気ぜわしく見ているうちに、ウォーク・ウェイがあるのに気がついた。
ウォーク・ウェイとは、とくに樹 木の樹冠部を観察するために作られた歩行用の橋で、階段を登ってから橋の部分を歩いて、日頃とても高くてよくみえないところに咲いている花や、そこに来る昆虫や鳥などを見るようになっている。大阪では、万博公園に同じようなものが作られている。

下から見上げたウォーク・ウェイ

ウォーク・ウェイというものが研究のために必要ということを教えてくれたのは、学生の頃からの友人で、生態学者であった故・井上 民二 京都大学教授(1947-1997年)であった。もう25年ほど前のことである。東南アジアや中米の熱帯雨林の研究していた井上さんは、本格的な研究をするには地表から森林をながめるだけではダメで、花が咲き、昆虫が活動する樹冠部に近づく必要を痛感していた。そして彼は多額の研究費を集め、サラワクの森にウォーク・ウェイをつくって、若手の研究者を動員して本格的な研究を開始した。とくに熱帯雨林でときどきおこる、多くの植物種が一斉に開花するというふしぎな現象を解明したいということであった。この研究は大成功で、生物多様性の大きな熱帯雨林の秘密を解き明かし始めた。彼の作ったウォーク・ウェイにはまだいったことはないが、研究用のものなので、吊り橋の細い通路を、命綱をつけて注意深く歩かねばならないようだ。高所恐怖症の私には向いていない。

高木の樹冠の実を手に取るように見ることができる

これに対してキュー・ガーデンのウォーク・ウェイは鉄製のがっちりしたつくりで、安全に歩くことができる。また万博公園のものより心持ち高い位置に作られている。花は咲いていなかったが実がなっているのをすぐ近くで見ることができた。
 このウォーク・ウェイができたのは2008年とのことでまだ10年程度である。キュー・ガーデンのような古くからの植物園ですらその歴史が浅いのは、1990年頃から熱帯雨林研究の必要性から作られるようになったウォーク・ウェイが、最近になって植物園にも作られるようになったからと推測している。
 井上さんは1997年に飛行機事故で亡くなり、キュー・ガーデンのウォーク・ウェイをみることはできなかったが、彼が一生懸命になって作ったものと同じようなものが、こうした帝国型の植物園にまで作られ、生態学者だけでなく普通の人も樹冠に近づけるようになったことを知ったら、喜ぶにちがいないと思うことになった。

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