Tourism passport web magazine

学校法人 大阪観光大学

〒590-0493
大阪府泉南郡熊取町
大久保南5-3-1

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大阪観光大の学生や教員が運営する WEBマガジン「passport」

Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”

「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、 大阪観光大学がお届けするWEBマガジンです。
記事を書いているのは大阪観光大学の現役の教授や学生たち。 大学の情報はもちろん、観光業界や外国語に興味のある方にも楽しんでいただける記事を定期的に公開していきます。

韓国のダークツーリズム探訪:光州5.18光州民主化運動の真実

今年の2月はじめ、韓国の光州市に行ってきた。光州市は朝鮮半島の南西部、全羅南道に八方を囲まれる形で位置しており、過去には全羅南道の道庁所在地だったことがある。人口は約147万人である。

光州広域市は経済・行政・文化の中心都市として、光州・全羅地域を管轄する官公署と多くの企業の本部と支社などが置かれており、湖南地方の中心の役目をしている。昔から光の町、光の都市と呼ばれる。光州学生事件、光州事件に象徴される「民主と人権を象徴する都市」として知られる。

5.18光州民主化運動とは、1980年5月18日から27日にかけて韓国の全羅南道の道庁所在地であった光州市を中心として起きた民衆の蜂起である。5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕をきっかけに、5月18日にクーデターに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に韓国政府によって鎮圧された。

当時、事件は「北朝鮮の扇動による暴動」とされたが、粘り強い真相究明の動きの結果、1997年に国の記念日となり、2001年には事件関係者を民主化有功者とする法律が制定された。韓国の近代史でもっとも大きな事件の一つであり、かつ韓国における民主主義の分岐点といえる。なぜならば、1987年6月の6月民主抗争の原動力となったのである。

その一方で、2010年代においても韓国では当時の韓国政府と同様に北朝鮮の関与があったとする複数の報道もなされているが、それに対する非難もあり、事件の原因については対立する説明がされている。また、海外では金大中を支持していたニューヨークタイムズのストークス記者が、当時は金大中に騙されていたと主張するなど、事件についての見解はさまざまである。

1980年5月31日の戒厳司令部発表では、死亡者数は170人(民間人144人・軍人22人・警察官4人)、負傷者数は380名であったが、5.18記念財団で支給した補償金の内訳をみると、次のとおりである。

出典「518記念財団ホームページ」より(重複支給者698人を除く場合、実際認定人数は 4,362人)

事件当時の韓国では、光州事態と呼ばれた。これは戒厳下において不純分子による騒擾事態(暴動)とみなされたためで、マスコミの報道がそれに倣ったことによって定着したのである。1988年、盧泰愚が大統領に当選した後に設置した民主和合推進委員会は「光州事態」を民主化運動として再定義し、(5.18)光州民主化運動と呼び改めることを提案した。そして1995年、金泳三政権で「5.18民主化運動に関する特別法」が成立して公文書でも広く使われるようになり、現在に至っている。口語では単に「5.18」と呼ばれることも多い。民主化運動団体では、軍部独裁に対する抵抗運動として光州民衆抗争、光州民主化抗争、光州抗争という言い方もされている。

最後に、1980年5月27日お昼の市民デモ隊の街頭放送をみながら終わりにしたい。

愛する光州市民の皆さん、
今戒厳軍が攻めてきています。
愛する私たちの兄弟姉妹たちが戒厳軍の銃剣に死んでいます。
我々は、すべて戒厳軍と最後まで戦いましょう。
私たちは最後まで光州を死守することです。
皆さん、私たちを忘れないでください。
私たちは最後まで戦うことになります。

公園の入口

公園内のお墓

民衆抗争追慕塔

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